因果律は必ず成就されます
「そういう場合もあれば、そうでない場合もあります。
いわゆる因果律というのは、必ずしも地上生活期間中に成就されるとは限りません。
しかし、いつかは成就されます。
必ず成就されます。
原因があれば結果があり、両者を切り離すことは出来ないのです。
しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質いかんに関わってきます。
すぐに結果の出るものもあれば、地上生活中には出ないものもあります。
その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。
罪を犯すと、その罪がその人の魂に記録され、それなりの結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。
それが地上生活中に出るか否かは、私たち霊にも分かりません。
それは様々な事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である魂の進化にあることだけは確かです。」

人間一人一人に守護霊がついている
「母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊が付きます。
そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。
守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは、大いに違ってきます。
自覚してくれれば、守護霊の方も仕事がやりやすくなります。
守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当たる霊は何人かおります。
守護霊にはその人間のたどるべき道が、あらかじめ分かっております。
が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。
つまり、自分はこの男性にしようとか、あの女性の方が良さそうだ、といった勝手な注文は許されません。
霊の世界は、実にうまく組織された機構の中で運営されております。」

全生命は共に進み共に後戻りします
「限りある知恵で、無限の叡智を理解することは出来ません。
宇宙規模の問題を、肉眼だけを通して覗いてみても、つまり限られた知性でもって理解しようとしても、解決は得られません。
全体のごく限られた一部しか見えないからです。
確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹が空けば互いに食い合うこともしますが、それは自然界全体としては、極めて些細な話であって、人間界と同様に動物界にも調和と協調の原理が働いております。
チャンスに恵まれれば、その原理を如実に見ることが出来ます。
それとは別に、人間としての責務に関わる一面もあります。
つまり、上に立つ者が低い進化の過程にある者に対して持つ責務です。
人間も動物も、樹木や果実、花、野菜、小鳥などと共に一つの生命共同体を構成しているからです。
全生命は、進む時は共に進み、後戻りする時は共に後戻りします。
ですから、人間が愛と慈悲と同情の心を発揮すれば、それこそ狼と小羊が寄り添って寝そべるようになります。」

霊眼には全ての物の内側と外側が見える
光だけです。
光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解が出来ております。
そうでなかったら、その界層にはおれません。
その界層に至るまでは、やはり光と闇の錯覚の世界である低級界に留まります。
進化していくと、そういう比較対照を必要としない段階に至ります。
そうすれば実在の真相を、より正しく理解するようになり、その実在の真相をあるがままに知ることが出来ます。
たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその“全体像”を見ることが出来れば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。
霊眼には、全ての物の内側と外側が見えるのです。
内側には、地上のような外側だけの世界には見られない、無限の種類の色彩があります。
色調も無数にあります。
そして物的感覚では理解できない、霊的な実体感を有しております。
私たち霊界の者は、地球の引力の作用を受けません。
また永遠の光が存在します。
魂が開発されるにつれて、その程度にふさわしい美しさも開発されます。
霊界は創造進化の世界です。
そこに生活する者みずからが、創造していく世界です。

霊界では同じレベルの霊同士の生活が営まれている
「違います。
霊界では、同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がハッキリしているからです。
ですから、地上のような比較対照がありません。
各自が、その霊格に合った界層で生活しており、程度の低い者と高い者とが一緒に暮らすことはありません。
地上では、精神的ならびに霊的発達程度の異なる者が、毎日のように顔を合わせますが、霊界ではそういうことはありません。
ただし、使命を受けて低い界層へ降りて行けば別です。
そうでない限り、同じレベルの霊同士の生活が営まれます。
やがて、そのレベル以上に向上すれば、次のレベルへ進んで行きます。
ですから、一つの界層で対照的な生活が営まれることがないわけです。」

人間なりの努力をして解決していかねばならない
「あらゆる種類のガンが治せるという意味での特殊な治療法はありません。
全部が同じ原因から発生しているのではないからです。
身体的なものに由来するものもあれば、精神的なものもあり、また霊的なものもあります。
その全てを同じ方法で治すことは出来ません。
私たち霊界の者が地上の問題に関わるには、それなりの制約があることを理解して下さい。
人間から頼まれて“ああ、その問題ですか。じゃあ、こうしなさい”といった調子で受け合うわけには参りません。
地上の人間は、地上の人間なりの努力をして、解決していかねばなりません。
ただし人生観が誤っていたり、動物に苦痛を与える実験をしたり、要するに援助を受けるべき資格のない状態でいくら努力をしても、治療法は見つかりません。」

全ての改革はまず自分から
他人を変えようと欲するのですが、全ての発展、全ての改革はまず自分から始めなくてはなりません。
自分が霊的資質を開発し、発揮し、それを何かに役立てることが出来なければ、他人を改める資格はありません。
地上人類の霊的新生という大変な事業に携わっていることは事実ですが、それにはまず自分を霊的に新生させなければなりません。
真の自分を発見しなければなりません。
心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて、魂の内奥の神性を存分に発揮しなければなりません。
宗教的呼称や政治的主義主張は、どうでもよろしい。
私は、その重要性を認めません。
もし何かの役に立てば、それはそれで結構です。
が、本当に大切なのは、神から授かった、かけがえのない霊的遺産を存分に発揮することです。
その光輝、その気高さ、その威厳の中に生きることです。
いかなる名称の思想、いかなる名称の教会、いかなる名称の宗教よりも偉大です。
神の遺産は尽きることがありません。
地上に誕生して来る者の全てが、当然の遺産として、その一部を無償で分け与えられております。

無限の花を開かせる種子
あなた方一人一人が神であり、神はあなた方一人一人なのです。
一人一人が神の無限の霊力の一翼を担っているのです。
地上への誕生は、その神の一部が物質と結合する現象です。
その一部に、神の神性の全てが潜在的に含まれております。
言わば、無限の花を開かせる、その可能性を秘めた種子と言えましょう。
その可能性の一部が、霊界からの働きかけによって、本人も気付かないうちに発揮されることがあります。
むろん、無意識よりは意識的の方が望ましいに決まっています。
ですが無意識であっても、全く発揮されないよりはマシです。
人間が他人へ向けて愛の手を差しのべようとする時、その意念は自動的に霊界の援助の力を呼び寄せます。
その、人のために役立とうとする願望は、魂をじっとしていられなくします。
そして、やがて機が熟して魂が目覚める時が来ます。
その時からは、自己の存在意義を成就するために、意識的に邁進(まいしん)するようになります。
