死は牢からの解放

一 亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。

「一種の自己憐憫の情です。

自分自身への哀れみです。

愛する人を失ったことを嘆いているのです。

苦しみの世界から解放された人のために、涙を流すべきではありません。

もちろん地上人生が利己的すぎたために、死後も相変わらず物質界につながれている地縛霊がいます。

が、それは少数です。

大部分の人にとって死は牢からの解放です。

新しく発見した自由の中で、潜在する霊的才能が発揮できるようになります。

無知の暗闇ではなく、知識の光の中で生きることが出来るようになります。

過ぎ去った日の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すと言いますが、何のために悲しむのでしょう。

そんなことをして、その霊にどんな良いことがあるのでしょう。

何一つありません。

過ぎ去ったことを悲しむのは良くありません。

それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、毎日を霊的成長のチャンスとして、希望に胸をふくらませて迎えなさい。

それが賢者の道です。」
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# by ice-kiss | 2017-04-14 22:47
一 人間の寿命は前もって分かっているのでしょうか?
それとも肉体の強さや他の要因の問題でしょうか?

「肉体の強さも寿命を決定づける要因の中に入っています。

魂が成長するためには地上的体験が必要です。

肉体は、その地上的体験をする上でなくてはならないものです。

魂と肉体は一体です。

そして、寿命が切れる時期はたいてい、あらかじめ分かっています。

肉体と魂を分けて考えることは出来ません。

肉体は魂に制約を加え、魂は肉体に生命を与えています。

そのように両者は、切っても切れない関係にあります。

一つの存在を構成している二つの要素を、分離して考えてはいけません。

あなたという存在は、数々の要素が互いに反応しあいながら、一つになっているのです。

全ての側面が融合し結合し混ざり合って、あなたというスピリットが出来上がっているのです。」
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# by ice-kiss | 2017-04-13 22:16
あなたのもとを訪れた人に、本当の自分に目覚めるキッカケを与えることは、大きな意義があります。

つまり、人間が神に似せて作られていること、神と本質的に同じものが宿っていること、その資質を発揮することで人生に美と愛と光をもたらすことができ、全ての体験を価値あるものに出来ることを理解させているのです。

厄介な出来事を、神が与えてくれた挑戦のチャンスとして、感謝して受け止めなさい。

それを処理することで結果的に、あなたがそれだけ霊的に成長するのです。
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# by ice-kiss | 2017-04-12 22:32

自然法則は働き続ける

「あなた方は他人のすることではなく、自分のすることに自分一人で責任を取るのです。

あなたの責任を免除してくれるものは誰一人、何一つありません。

注意を怠れば、それだけの代償を自分が払わなくてはいけません。

それが原因と結果の自然法則です。」

一 各自に責任があることは知っていましたが、これまでは他人事のように考え、真剣に考えたことはありませんでした。
これからは心掛けようと思います。

「ぜひ心掛けて下さい。

あなたが自覚するしないにお構いなく、自然法則は働き続けるものだからです。

冷淡なのではありません。

法則として定められたように働かざるを得ないのです。」
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# by ice-kiss | 2017-04-11 22:11
「無理をしていることを知りつつ無理を重ねて、途中で倒れる人がいます。

倒れたら休むしかありません。

私たち霊はあなた方人間に、自分自身を助ける心構えを説き、魂と精神に関わる法則だけでなく、その肉体を支配している生理的法則にも絶対的に従わねばならないことを教えています。

それを忠実に守り、魂と精神と肉体が調和状態にある限り、あなた方は健康であり健全です。」

一 私は言うことを聞かない部類に入るようです。

「言うことを聞くようにと、神は二つの耳を与えたのです。」
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# by ice-kiss | 2017-04-10 21:44

霊訓中の霊訓


by ice-kiss