あなたの我慢のしどころ

地上人生の究極の目的は、死のあとに待ち構えている霊界生活に備えて、内部に宿る魂を開発することです。

開発するほど洞察力が深まります。

魂が開発され進歩するにつれて、自動的に他人に対して寛大になり哀れみを覚えるようになります。

これは、悪や残忍や不正に対して寛大であれという意味ではありません。

相手は自分より知らないのだという認識から生まれる、一種の我慢です。

人間はたいてい、自分がしていることの意味が分からずに、全くの無知から行動していることがあります。

そこが、あなたの我慢のしどころです。

しかし、その我慢は悪を放任し黙認することではありません。

それは我慢ではなく、目の前の現実に目をつむることです。

真の意味の寛大さには洞察力が伴います。

そして、いつでも援助する用意が出来ていなければなりません。
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# by ice-kiss | 2017-04-19 23:03

そう思うからそうなる

一 霊界にも地上と同じ、朝、昼、夜の変化があるのですか?

「霊界に来て間がない段階では、そういうことがあります。

まだ新しい霊的環境に順応していないからです。

霊界の低い界層は、地上と環境がそっくりです。

これは新参者が感覚を慣らすための神の配慮です。

そうしないと新参者は戸惑うのです。

ですから今の質問のように、霊界に来てからも、朝と昼と夜の生活をしている霊がいることになります。

そう思うからそうなるのです。

私たち霊の世界は思念が形となって表れる世界です。

悟りが芽生えるまでは、その状態が続きます。」
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# by ice-kiss | 2017-04-18 23:21
地上に生まれて来るどんな人間も、代償の法則、時には懲罰とも言うべきものから逃れることは出来ません。

ある段階で必ず、霊的な貸し借りの差引勘定が行われ、貸し借り無しの状態になります。

地上で障害があった人は、霊界で埋め合わせがあります。

障害と言ってもそれは肉体上の不完全さであって、障害のある精神や魂は絶対にありません。

脳の障害によって、精神や魂が表現の機会を与えられなかったことから生じる、未熟な精神、未熟な魂ならあります。

そうした魂は、他界した時点ではおそらく幼児のような進化の程度でしょう。

しかし、精神や魂には何の障害もありません。
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# by ice-kiss | 2017-04-17 20:30

思念には言語はない

一 他界直後は言語上の問題がありますか?

「あります。

いわゆる “幽界” 、つまり地球に最も近い界層ではあります。

そこには霊的理解がほとんど芽生えていない人たちが住んでいます。

まだ言葉が必要だと思い込んでいるので、言葉を使っています。」

一 一方が英語で話し相手がフランス語で話しても、実際は思念で通じ合っているのでしょうか?

「もちろんです。

もともと思念には言語はないのです。

言語というのは、思念を口に出して表現するための道具に過ぎません。

私たち霊の世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えないことをよく理解して下さい。」
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# by ice-kiss | 2017-04-16 22:18
私たち霊の世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、その景色と輝きは、地上のあなた方人間にはとても想像できません。

それを説明しようにも言葉がないのです。

死は独房の扉を開ける看守の役をすることがよくあります。

地上の人間は皆いつかは死なねばなりません。

法則によって、永遠に生き続けることは出来ないのです。

ですから、肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体と魂から切り離されることは避けられません。

その切り離しが終わると、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へ進みます。
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# by ice-kiss | 2017-04-15 22:51

霊訓中の霊訓


by ice-kiss