一体、宗教とは何なのでしょう。

教会や、礼拝堂や、寺院へ通うことでしょうか。

人間のこしらえた教義を受け入れることでしょうか。

私は、ローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教徒ですと名のることでしょうか。

宗教とは、神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。

あなたの行為の中に、神の御心が表現されることです。

要するに宗教とは、人のためになる行いをすることです。
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# by ice-kiss | 2014-10-04 21:35

待つのです

閉めきられたドアを忙(せわ)しく叩いてはいけません。

自然に開くのを待つのです。

宇宙全体だけでなく、一人一人の人間にも、きちんとした計画(プラン)があります。

そのプランが実行に移されていくのです。

私たち霊は、そのプランのもとに、私たちのやり方で、私たちのタイミングで、事を運ぶしかないのです。

人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。

その理由の一つは、人間には自分にとって、どうなるのが一番良いかが判断できないからです。

物質的に、精神的に、そして霊的に、あなたに何が一番望ましいかを判断するには、私たちの方が有利な立場にあります。

待つのです。

きっとドアは開かれます。

これまでも幾度となく、開かれてきております。
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# by ice-kiss | 2014-10-03 22:20

前を見るのです

同志の方には、いつも申し上げていることですが、信仰に知識を加えることから出発して、最後は知識に信仰を加えることで終わります。

地上はおろか霊界においてすら、存在する知識の全てを手にすることは不可能です。

知識は神と同じく無限であり、いつまでたっても蓄えを増やし続けることの連続です。

首をうなだれてはいけません。

後ろを振り向いてはいけません。

前を見るのです。

過去のページはすでにめくられ、二度と元へは戻せないのです。

生命の書は、常に新しいページをめくるのです。

その日その日のために生き、昨日のために生きてはいけません。

明日、刈り取る収穫のタネを蒔くのは今日なのです。
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# by ice-kiss | 2014-10-02 21:26
問題が生じるのは当然の成り行きです。

地上は、困難と、挫折と、障害と、逆境に、遭遇させられる場所なのです。

地上生活のそもそもの目的は、伸び行く魂が、危機において、はじめて呼び覚まされる、潜在的資質を発現するために、様々な事態に遭遇することにあるのです。

そうした問題を克服しないかぎり、霊性の向上は望めません。

が、実は克服できないほど大きな問題は、決して背負わされないのです。

忍耐強く導きを祈り求めることです。

時が熟せば、必ずドアが開かれ、道が示されます。

私は、そのことを同志の方に、いつも、こう申し上げております。

ー 閉めきられたドアを忙(せわ)しく叩いてはいけません、と。
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# by ice-kiss | 2014-10-01 21:19
霊である私は、地上の同志の方に気楽な人生、何の障害もない人生を、お約束することは絶対にできません。

私から言えることは、障害も困難も、その一つ一つが、挑戦すべき目標だということです。

一つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです。

地上の人間は、いつかは死ななくてはなりません。

物的身体をたずさえて永遠に生きるということは、自然法則上、不可能なことです。

無知と迷信から生まれる死の恐怖さえ克服すれば、地上の人間にとって、死が、暗闇から光明へ導いてくれる天使であり、地上で活用されることのなかった、才覚と能力とを発揮する好機を与えてくれるものとして、歓迎するようになることでしょう。
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# by ice-kiss | 2014-09-30 22:06

霊訓中の霊訓


by ice-kiss