<   2017年 04月 ( 31 )   > この月の画像一覧

「魂が身体を生かしている限り、両者のつながりは維持されます。

魂と身体をつないでいるコードが切れると、魂は身体から解放されます。

身体の死を迎えた人にとっては、霊的生活の始まりであり、地上へ誕生する霊にとっては、物的生活の始まりです。」

一 今にも死にそうな人が、機械によって生き長らえている例をよく耳にします。

「魂が身体から離れる時が来たら、地上のどんな機械でも、それ以上つなぎとめることは出来ません。

一旦コードが切れたら、魂をもう一度つなぎとめる力は誰にもありません。

その時点で肉体の死が起きたのです。」
f0328373_21392746.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-20 21:39

あなたの我慢のしどころ

地上人生の究極の目的は、死のあとに待ち構えている霊界生活に備えて、内部に宿る魂を開発することです。

開発するほど洞察力が深まります。

魂が開発され進歩するにつれて、自動的に他人に対して寛大になり哀れみを覚えるようになります。

これは、悪や残忍や不正に対して寛大であれという意味ではありません。

相手は自分より知らないのだという認識から生まれる、一種の我慢です。

人間はたいてい、自分がしていることの意味が分からずに、全くの無知から行動していることがあります。

そこが、あなたの我慢のしどころです。

しかし、その我慢は悪を放任し黙認することではありません。

それは我慢ではなく、目の前の現実に目をつむることです。

真の意味の寛大さには洞察力が伴います。

そして、いつでも援助する用意が出来ていなければなりません。
f0328373_23033311.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-19 23:03

そう思うからそうなる

一 霊界にも地上と同じ、朝、昼、夜の変化があるのですか?

「霊界に来て間がない段階では、そういうことがあります。

まだ新しい霊的環境に順応していないからです。

霊界の低い界層は、地上と環境がそっくりです。

これは新参者が感覚を慣らすための神の配慮です。

そうしないと新参者は戸惑うのです。

ですから今の質問のように、霊界に来てからも、朝と昼と夜の生活をしている霊がいることになります。

そう思うからそうなるのです。

私たち霊の世界は思念が形となって表れる世界です。

悟りが芽生えるまでは、その状態が続きます。」
f0328373_23215439.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-18 23:21
地上に生まれて来るどんな人間も、代償の法則、時には懲罰とも言うべきものから逃れることは出来ません。

ある段階で必ず、霊的な貸し借りの差引勘定が行われ、貸し借り無しの状態になります。

地上で障害があった人は、霊界で埋め合わせがあります。

障害と言ってもそれは肉体上の不完全さであって、障害のある精神や魂は絶対にありません。

脳の障害によって、精神や魂が表現の機会を与えられなかったことから生じる、未熟な精神、未熟な魂ならあります。

そうした魂は、他界した時点ではおそらく幼児のような進化の程度でしょう。

しかし、精神や魂には何の障害もありません。
f0328373_20301208.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-17 20:30

思念には言語はない

一 他界直後は言語上の問題がありますか?

「あります。

いわゆる “幽界” 、つまり地球に最も近い界層ではあります。

そこには霊的理解がほとんど芽生えていない人たちが住んでいます。

まだ言葉が必要だと思い込んでいるので、言葉を使っています。」

一 一方が英語で話し相手がフランス語で話しても、実際は思念で通じ合っているのでしょうか?

「もちろんです。

もともと思念には言語はないのです。

言語というのは、思念を口に出して表現するための道具に過ぎません。

私たち霊の世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えないことをよく理解して下さい。」
f0328373_22181349.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-16 22:18
私たち霊の世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、その景色と輝きは、地上のあなた方人間にはとても想像できません。

それを説明しようにも言葉がないのです。

死は独房の扉を開ける看守の役をすることがよくあります。

地上の人間は皆いつかは死なねばなりません。

法則によって、永遠に生き続けることは出来ないのです。

ですから、肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体と魂から切り離されることは避けられません。

その切り離しが終わると、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へ進みます。
f0328373_22513912.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-15 22:51

死は牢からの解放

一 亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。

「一種の自己憐憫の情です。

自分自身への哀れみです。

愛する人を失ったことを嘆いているのです。

苦しみの世界から解放された人のために、涙を流すべきではありません。

もちろん地上人生が利己的すぎたために、死後も相変わらず物質界につながれている地縛霊がいます。

が、それは少数です。

大部分の人にとって死は牢からの解放です。

新しく発見した自由の中で、潜在する霊的才能が発揮できるようになります。

無知の暗闇ではなく、知識の光の中で生きることが出来るようになります。

過ぎ去った日の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すと言いますが、何のために悲しむのでしょう。

そんなことをして、その霊にどんな良いことがあるのでしょう。

何一つありません。

過ぎ去ったことを悲しむのは良くありません。

それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、毎日を霊的成長のチャンスとして、希望に胸をふくらませて迎えなさい。

それが賢者の道です。」
f0328373_22472630.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-14 22:47
一 人間の寿命は前もって分かっているのでしょうか?
それとも肉体の強さや他の要因の問題でしょうか?

「肉体の強さも寿命を決定づける要因の中に入っています。

魂が成長するためには地上的体験が必要です。

肉体は、その地上的体験をする上でなくてはならないものです。

魂と肉体は一体です。

そして、寿命が切れる時期はたいてい、あらかじめ分かっています。

肉体と魂を分けて考えることは出来ません。

肉体は魂に制約を加え、魂は肉体に生命を与えています。

そのように両者は、切っても切れない関係にあります。

一つの存在を構成している二つの要素を、分離して考えてはいけません。

あなたという存在は、数々の要素が互いに反応しあいながら、一つになっているのです。

全ての側面が融合し結合し混ざり合って、あなたというスピリットが出来上がっているのです。」
f0328373_22162709.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-13 22:16
あなたのもとを訪れた人に、本当の自分に目覚めるキッカケを与えることは、大きな意義があります。

つまり、人間が神に似せて作られていること、神と本質的に同じものが宿っていること、その資質を発揮することで人生に美と愛と光をもたらすことができ、全ての体験を価値あるものに出来ることを理解させているのです。

厄介な出来事を、神が与えてくれた挑戦のチャンスとして、感謝して受け止めなさい。

それを処理することで結果的に、あなたがそれだけ霊的に成長するのです。
f0328373_22321463.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-12 22:32

自然法則は働き続ける

「あなた方は他人のすることではなく、自分のすることに自分一人で責任を取るのです。

あなたの責任を免除してくれるものは誰一人、何一つありません。

注意を怠れば、それだけの代償を自分が払わなくてはいけません。

それが原因と結果の自然法則です。」

一 各自に責任があることは知っていましたが、これまでは他人事のように考え、真剣に考えたことはありませんでした。
これからは心掛けようと思います。

「ぜひ心掛けて下さい。

あなたが自覚するしないにお構いなく、自然法則は働き続けるものだからです。

冷淡なのではありません。

法則として定められたように働かざるを得ないのです。」
f0328373_22120325.jpg

[PR]
by ice-kiss | 2017-04-11 22:11

霊訓中の霊訓


by ice-kiss