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動物実験は間違っている

一 いわゆる動物実験では、本当に役立つものは得られないことを人類が理解する段階は、もう来ているのでしょうか?
そのことに理解がいけば、それは道徳的ならびに霊的生活での大きな進歩を意味することになるのでしょうか?

「動物実験によって何一つ役立つものが得られないわけではありません。

が、その手段は間違っていると申し上げているのです。

何の罪もない動物に残酷な仕打ちをすることは、霊的なこと全てに反するからです。

人間は自分のすることに責任を取らされます。

動機は正しいと言えるケースも沢山ありますし、それはそれとして霊的発達に影響を及ぼします。

法則とはそういうものなのです。

が、しかし神は、人間が動物への略奪と残忍な行為によって健康になるようには計画しておられません。

それは改めて強調する必要を認めないほど明らかなことでしょう。

学者が道を間違えているのは、そこのところです。

人間の方が動物より大切な存在である、よってその動物を実験台として人間の健康と幸福の増進をはかる権利がある、という弁解をするのですが、これは間違っております。」
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by ice-kiss | 2016-06-11 01:01
一 動物に投与している抗生物質などの薬品類が、めぐりめぐって人間の体内へ入ってきている事実をどう思われますか?

「それは、他の生命に害悪を及ぼすと、必ずそれに対して責任を取らされるという、大自然の永遠のサイクルの一環です。

他の生命に残酷な仕打ちをしておいて、それが生み出す結果を逃れることは許されません。

貪欲以外に何の理由づけもなしに動物をオリの中で飼育し、動物としての本来の権利を奪うことは、悪循環にしかなりません。

そのサイクルの中で因果律が生み出すものに対して、人間は苦しい代償を支払わねばなりません。

動物であろうと、花であろうと、小鳥であろうと、人間であろうと、自然界が恵んでくれる最高のものを得るには、慈悲と愛と哀れみと親切と協調しかないのです。」
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by ice-kiss | 2016-06-09 22:32
人間は、自分のすることに責任を取ることになっており、その行為の一つ一つが、その人の霊性に影響を及ぼします。

その際に必ず考慮されるのが動機です。

動機にやましいところがなく、どうしても殺さざるを得なかったという場合は、その行為はあなたの成長にプラスに働きます。

霊的法則は、原因と結果の関係、タネ蒔きと刈り取りの原理の上に成り立っており、これは絶対にごまかせません。

あなたのすること、考えること、口にすることの一つ一つが、それ相応の結果を自動的に生み出します。

そこにごまかしは利きません。

悪いと知りつつ間違ったことをした場合は、その結果に対して責任を取らされます。

その結果としての苦しみは、自分で背負わねばなりません。

良い行いをする場合でも、それが見栄から出ているのであれば、動機がお粗末でいけませんが、魂の自然な発露として善行を施した場合は、そういう行いをしたという事実そのものが、あなたを霊的に向上させます。

それが法則というものなのです。
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by ice-kiss | 2016-06-09 00:06
若者は一筋縄ではいきません。

あえて言わせて頂きますが、この交霊会にお出での誰一人として、若い時に大人を手こずらせなかった方はいません。

大人になるに連れて、若者特有の反抗的性格が薄らいでいきますが、若い時は “大人が世の中をめちゃくちゃにしている 一 オレたちが建て直すのだ” という気概に燃えたに相違ないのです。

が、成長して理解力が芽生えてくると、知らず知らずのうちに恩恵を受けていることが沢山あることに気づいて、それに感謝しなければならないと思いはじめます。

こうしたことも両極の原理、バランスの原理の一つなのです。

つまり、若輩と年輩とがそれぞれの役割を持ち、男性と女性の関係と同じように、お互いに補足しあうようになっているのです。

人生の仕組みは、完全なバランスの上に成り立っております。

それぞれの存在が正しく機能を発揮すれば、全体が調和するようになっているのです。

ですから年輪を重ねた大人は、大らかな心、ゆとりのある態度で、これから数々のことを学んでいく若者を見守ってやることが大切であることになります。
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by ice-kiss | 2016-06-07 23:43
あなたは人生での闘いに臆することなく立ち向かい、いかなる事態に置かれても、自分には困難を克服し、障害を乗り越え、霊的品格と美質と強靭さを身につけていく力が秘められているとの、自信を持つことが出来ます。

それであなたも神に貢献していることになります。

神は無限の多様性を持った統一体です。

人間一人一人異なっていながら、根源においては同じです。

同じ神によって生命を授けられているからです。

が、顕現の仕方は多岐に渡り、全く同じ個性は二つと存在しません。

しかも、いずれも神からの財産として、発達させれば自分より恵まれない者を救うことの出来る能力が授けられているのです。

あなたも例外ではありません。

その能力を発達させるのが、あなたの義務なのです。

必ずしも霊的能力に限りません。

他にも全ての人間が所有し、世の中を豊かにすることの出来る才能がたくさんあります。

地上の人間の全てが、それぞれに授かっている才能や技能を発揮するようになれば、どんなにか世の中が明るくなることでしょう。
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by ice-kiss | 2016-06-06 22:15
容易な手段で得られたものは、容易に捨て去られるものです。

霊的熟達の道は、長く、遅々として、しかも困難なものです。

霊的な褒賞は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。

霊的卓越に近道はありません。

即席の方法はありません。

奮闘努力の生活の中で、魂が必死の思いで獲得しなければなりません。

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の法則は “まやかし” であったことになります。

それはまさしく神の公正を愚弄するものです。

一人一人の魂が自らの努力で、成長と発達と進化を成就しなくてはならないのです。
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by ice-kiss | 2016-06-05 23:00
若者は、本性そのものが物事を何でも過激に、性急に求めさせます。

従来の型にはまったものに背を向け、物質のベールに隠されたものを性急に求めようとします。

麻薬を使って一時的な幻覚を味わうとか、時には暴力行為でエクスタシーを味わうといった過激な方法に走るのも、若者が新しいものを求めようとして、古いものを破壊している一例と言えます。

もとより霊的開発に手っ取り早い方法があるかに思わせることは、断じてあってはなりません。

それは絶対にあり得ないのです。

霊的な宝は、即座に手に入るものではありません。

努力して求めなくてはなりません。

霊的熟達には大変な修行が必要です。

本格的な霊的開発を求める人は、長期間に渡る献身的修行を要することを認識しなくてはなりません。
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by ice-kiss | 2016-06-04 23:32
人間には自由意志が認められております。

定められた人生模様の枝葉末節なら変えることが出来ますが、その基本のパターンそのものを変えることは出来ません。

定められたコースを、自分で切り抜けていかねばなりません。

ただ地上の人間は一人の例外もなく、絶対的支配力である霊力の恩恵にあずかる機会が与えられております。

自ら求めるのでない限り、永遠に暗闇の中で苦しめられることはありません。

何よりも動機が最優先されます。

その行為が正しいか間違っているかは、動機いかんに掛かっているのです。

その法則は変えようがありません。
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by ice-kiss | 2016-06-03 22:13
永遠の時の流れの中にあっては、数時間や数日は大して意味はありません。

大切なのは魂に及ぼす影響です。

実際は患者よりも、側で見ている人の方が苦しみが大きいことがよくあります。

患者自身は単に身体上の反応を見せているだけで、あなたが “さぞかし” と思いやっておられる苦しみは、味わっていないものです。

魂に及ぼすものが一番大切です。

と言って、身体上のことに無神経になりなさいと言っているのではありません。

身体は魂が地上で自らを表現する媒体です。

両者は常に反応しあっております。

身体は魂に影響を及ぼし、魂は身体に影響を及ぼしています。

しかし、どちらが上かと言えば、文句なしに魂の方です。

魂が王様であり身体は召使いです。

身体にいくら薬品を注ぎ込んでも、別に魂には影響ありません。

それによって最終的な身体との分離の時期を、少しばかり遅らせることは出来るかも知れませんが、魂はいつかは身体を離れなければならないという法則を変えることは出来ません。

不老不死の妙薬や治療法をいくら求めても無駄です。

自然法則によって支配されているからです。
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by ice-kiss | 2016-06-02 23:25
苦しみには、それ相当の目的があります。

苦しみはなくてはならない大切なものなのです。

なぜなら、それを通じて魂の目が開かされ、隠れた力を呼び覚まされ、その結果として霊的に、時には身体的に、一層強力になってまいります。

そうなるべきものなのです。

多くの人にとって苦しみは、全人生を全く別の視点から見つめさせる大きな触媒となっています。

いかなる症状の患者であっても、簡単に “不治” と片付けてはいけません。

その態度は間違っています。

地上の格言にも “生命ある限り希望がある” というのがありますが、これは真実です。

魂が宿っている限り元気を回復させ、再充電し、ある程度まで機能を回復させることが出来ます。

法則が自然に働くようにしさえすれば、身体は死すべき時が来れば、自然に死にます。

魂に身体から離れる準備が出来たからです。
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by ice-kiss | 2016-06-02 00:33

霊訓中の霊訓


by ice-kiss