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一 霊的な治療を受ける上で信仰のあるなしは関係ないと理解しておりますが、患者が邪悪な思念を抱いていると、それが治療を妨げると考えてよろしいでしょうか?

「私は信仰を持つこと自体は反対していません。

それが理性を土台としていて、盲目的でなければ結構です。

霊的な思想を正しく理解した方なら、手にした真理は全体のほんの一欠片に過ぎないことはご存知と思います。

肉体に閉じ込められているあなた方人間が、全真理を手にすることは不可能です。

霊界へ来ても同じことです。

となると、手にした限りの知識を土台とした信仰を持たねばならないということになります。

さて、そうした知識を土台とした理性的信仰を持っていることは、大いに結構です。

そのこと自体は何の問題もないと思います。

それが治療にとって好ましい楽観的な雰囲気を作り出すからです。

霊力は明るく楽しい、愉快な精神状態の時に最も有効に作用し、反対にみじめで疑い深く、動揺しやすい心は、霊的雰囲気をかき乱して治療の妨げとなります。」
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by ice-kiss | 2016-06-30 20:48
病気・不快・異状の原因は調和の欠如にあります。

健康とは全体の調和が取れている状態のことです。

身体と精神と魂の間に正しいリズムとバランスが取れていることです。

三者の連繋がうまくいっていない時、どこかに焦点の狂いが生じている時、自然の生命力の流れが阻害されている時に病的症状が出るのです。

霊力が流れず、本来の機能を果たしていないからです。

人間の病気はサイコソマティック(psychosomatic 身心相関)、つまり精神と魂に原因があって、それが身体に表れております。

心配ばかりしていると胃潰瘍になります。

が、潰瘍部分を切除すれば心配しなくなるわけではありません。

ですから心配しないような生き方を教えてあげないといけません。

病気の大半は精神と魂から生じております。

いわゆる人身事故でさえ、精神ならびに霊的原因から発生していることがあるのです。

これは皆さんにとっては、とても理解しがたい難題であろうかと思います。
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by ice-kiss | 2016-06-29 23:28

しくじっては学ぶ

もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人間だったら、あなたは今この地上にいないはずです。

間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。

しくじってはそこから教訓を学ぶのです。

もしもしくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。

勉強のために地上へ来ているのです。

しくじっては学ぶ 一 それが進化の法則の一環なのです。

しかも進化は、どこかでおしまいとなるものではなく、限りなく続く営みなのです。

その目的は完全性の成就です。

が、その完全性がまた無限の性質のものであり、いつまでたっても成就できないのです。

完全を成就しているのは神のみです。

無限なる愛と無限なる叡智の権化なのです。
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by ice-kiss | 2016-06-28 21:15
霊的闘争における勝利は、そう簡単には得られません。

霊的なものが支配権を握るに至る過程は、長くて過酷なものです。

が、一度手中にすれば、それは永遠です。

決して失われることはありません。

霊的な褒賞は決して傷つきません。

決してサビつきません。

決して腐食しません。

永遠に自分のものとなります。

それは皆さんの一人一人が、自らの努力で勝ち取らねばならない、永遠の財産なのです。

皆さんとともに仕事をしている私たち霊界の者が、いくら皆さんを愛し、窮地にあって守り導き、道を教えてあげようと望んでも、所詮は皆さん自身の道なのです。

その道を進むのはあなた方自身です。

そして一つの困難を克服するごとにあなた方自身の霊性が強化され、霊的な仕事に携わる者として、より大きな資格を身につけて行かれるのです。
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by ice-kiss | 2016-06-27 21:28
他人のためになることをする 一 これが一番大切です。

私たち霊の意見は単純明快です。

宗教には “古い” というだけで引き継がれてきたものが多すぎます。

その大半は、宗教の本質とは何の関係もないものばかりです。

私たちにとって宗教とは崇拝することではありません。

祈ることでもありません。 

審議会で人間の頭脳が考え出した、形式的セレモニーでもありません。

私たち霊はセレモニーには興味はありません。

それ自体はなくてはならないものではないからです。

しかし、もしもセレモニーとか慣例行事をなくてはならないものと真剣に思い込んでいる人がいれば、無理してそれを止めさせる理由はありません。

私自身としては、幼児期を過ぎれば誰しも幼稚な遊び道具は片付けるものだという考えです。
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by ice-kiss | 2016-06-26 23:36
キリストに対する最大の貢献は、その教えの通りに生きることです。

他人のために自分が出来るだけ役に立つような生活を送ることです。

内在する霊的能力を開発して、悲しむ人々を慰め、病の人を癒し、懐疑と当惑の念に苦しめられている人々に確信を与え、助けを必要としている人すべてに手を差しのべてあげることです。

儀式よりも生活の方が大切です。

宗教とは儀式ではありません。

人のために役立つことをすることです。

本末転倒してはいけません。

“聖なる書” と呼ばれている書物から、活字の全てを抹消してもかまいません。

賛美歌の本から、 “聖なる歌” を全て削除してもかまいません。

儀式という儀式を全て欠席なさってもかまいません。

それでもなおあなたは、気高い奉仕の生活を送れば立派に “宗教的” であり得るのです。

そういう生活でこそ内部の霊性が正しく発揮されるからです。

私たち霊は、皆さんの関心を儀式へ向けさせたくはありません。

大切なのは形式ではなく生活そのものです。

生活の中で何をなすかです。

どういう行いをするかです。
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by ice-kiss | 2016-06-25 22:04

地上は無知だらけです

至って簡単で、しかも肝心なことをぜひ理解して下さい。

人間という存在は、身体と精神と魂の三位一体として創造されているのです。

その三つは切り離せないのです。

置き換えはきかないのです。

あなたはそれらが一体となって、一つの個性を作っている存在です。

健康とは、その三つの協調関係であり、規則的リズムであり、一体関係です。

健康を得る方法は、それ以外にはありません。

薬でも医学でもありません。

それは一時しのぎの手段に過ぎません。

地上は無知だらけです。

死を恐ろしい怪物のように思って避けようとしています。

死を恐怖心をもって迎えていますが、死も自然法則の一環に過ぎません。

地上はトレーニングセンターです。

間違いなく訪れる次の、より大きな霊界生活に備えて教訓を学ぶための学校なのです。
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by ice-kiss | 2016-06-24 21:37

剣を取る者は剣にて滅ぶ

人間には選択の自由が許されております。

宇宙の無限の霊力とともに創造活動に参加し、進化の行進を促進することが出来るのです。

反対に邪魔することも出来ます。

遅らせることも出来ます。

ためらわせることも出来ます。

それも、大きな進化の過程の一コマなのです。

無限なる叡智を備えた神は人間を、でくの棒、操り人形、ロボットにはしませんでした。

神の所有する崇高な属性の全てを潜在的に授けてあるのです。

ですから、人間界のことは人間みずから選択しなければなりません。

その上で、戦争が何の解決にもならないこと、逆に新たな問題を生み出すこと、貪欲と利己心はその内部に災いのタネを宿していることを思い知らねばなりません。

その昔、イエス・キリストは “すべて剣を取る者は剣にて滅ぶ” と申しました。

人間は自らの選択でそれを学んでいかねばなりません。
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by ice-kiss | 2016-06-23 22:35
万が一、やる気をなくすようなことがあったら 一 人間なら時には意気消沈することがあるものです 一 その時は一旦歩みを止めることです。

そして、これまで奇跡とも言える形で成し遂げられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識を持つことです。

あなたに要求されることは、ここまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信をもって、あなたの責務を全うすること、それだけです。

あなたなりのベストを尽くすことです。

あなたの力の範囲内で出来る限りの努力をなさることです。

恐れるものは何一つありません。

困難はあります。

が、それもきっと克服されます。

毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。
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by ice-kiss | 2016-06-22 20:51
背負った重荷も、知識から生まれた信念があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。

行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、克服していくべき挑戦だと思うことです。

きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。

見た目がいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されることがあってはなりません。

この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。

何事もきっと克服できます。

そして心が明るく弾むことでしょう。

万事が落ち着くべきところに落ち着きます。

時間は永遠なのです。

人間は、その永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです。
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by ice-kiss | 2016-06-21 21:39

霊訓中の霊訓


by ice-kiss