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背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。

行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。

きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。

見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。

この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。

何事もきっと克服できます。

そして心が明るく弾むことでしょう。

万事が落ち着くべきところに落ち着きます。

時間は永遠なのです。

人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです。
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by ice-kiss | 2015-09-20 22:39
ドアをノックしても開けてくれない時は、無理してこじ開けようとしてはいけません。

軽く押してみるのです。

それでもし開いたら、あなたの進むべき道が、そこにあるということです。

閉め切られた道は通れません。

絶対に開かないドアを叩き続けて、無駄な時間と労力を浪費している人間が多すぎます。

あなたに必要なものが十分に用意されれば、あとはドアをそっと押してみるだけでよくなります。

それまでは、どこにいても人のためになることを心掛けることです。

手を差しのべるべき人は、どこにでもいます。

決して大げさな催しをする必要はないのです。

悲しみの中にある人に優しい言葉を掛けてあげるだけでもよろしい。

沈んだ人の肩にそっと手を掛けて力づけてあげるだけでもよろしい。

病の人に早く治りますようにと、祈りの気持ちを送ってあげるだけでもよろしい。

むろん実際に治療してあげるに越したことはありません。
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by ice-kiss | 2015-09-19 21:30
自然界の生命は全てが複雑に絡み合っており、人間の責任は、人間同士を超えて草原の動物や空の小鳥にまで及んでいます。

抵抗する術を知らない、か弱い存在に苦痛を与えることは、是非とも阻止しなくてはなりません。

装飾品にするために動物を殺すことを、神は許しません。

あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生は絶対に止めなくてはなりません。

物言わぬ存在の権利を守る仕事に携わる者は、常にそうした人間としての道徳的原理に訴えながら闘わなくてはいけません。

小鳥や動物に対して平気で残酷なことをする者は、人間に対しても平気で残酷なことをするものです。
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by ice-kiss | 2015-09-18 21:36
うまく罪を免れる人は誰一人いません。

摂理は間違いなく働きます。

たとえ地上で結果が出なくても、霊界で必ず出ることを霊である私が断言します。

因果律はいかなる手段をもってしても変えられません。

永遠に不変であり、不可避であり、数学的正確さをもって働きます。

原因があれば必ず結果が生じます。

それから逃れられる人は一人もいません。

もしいるとしたら、神は神としての絶対的な資格である“完全なる公正”を失います。

そのこととは別に、もう一つ私がいつも強調していることがあります。

残念ながら人間は宿命的に(五、七十年という)ほんの短い視野しか目に入らず、永遠の観念で物事を考えることが出来ないということです。

あなた方人間には地上で発生していることしか見えませんが、その結果は霊界で精算されるのです。
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by ice-kiss | 2015-09-17 21:47
「人間に可愛がられた動物は、霊界でずっと待っていて、その人が他界してきた時に出迎えます。

永遠に消滅することのない個的存在を与えてくれた人ですから、必要な限りずっと待っています。

存続するのは、その個的存在です。」

一 全ての動物は人間との縁を通じて、個的存在を獲得するように意図されているのでしょうか?
つまり個としての独自の意識を持つということです。

「そうです。

人間がその思考と行為において、動物に対する愛を発揮すればするほど、動物の方も愛を発揮するようになり、それこそ、聖書の中のオオカミと小羊の話のように、人間と動物とが並んで寝そべるようになります。」
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by ice-kiss | 2015-09-16 22:22
若者は一筋縄ではいきません。

あえて言わせて頂きますが、この交霊会にお出での皆さんの誰一人として、若い時に大人を手こずらせなかった方はいません。

大人になるにつれて、若者特有の反抗的性格が薄らいでいきますが、若い時は大人が世の中をめちゃくちゃにしている 一 オレたちが建て直すのだ、という気概に燃えたに相違ないのです。

が、成長して理解力が芽生えてくると、知らず知らずのうちに恩恵を受けていることが沢山あることに気づいて、それに感謝しなければならないと思いはじめます。

こうしたことも両極の原理、バランスの原理の一つなのです。

つまり若輩と年輩とが、それぞれの役割を持ち、男性と女性の関係と同じように、お互いに補足し合うようになっているのです。

人生の仕組みは、完全なバランスの上に成り立っております。

それぞれの存在が正しく機能を発揮すれば、全体が調和するようになっているのです。

ですから、年輪を重ねた大人は大らかな心、ゆとりのある態度で、これから数々のことを学んでいく若者を、見守ってやることが大切であることになります。
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by ice-kiss | 2015-09-15 21:10
神は無限の多様性を持った統一体です。

人間一人一人異なっていながら、根源においては同じです。

同じ神によって生命を賦与されているからです。

が、顕現の仕方は多岐(たき)に渡り、全く同じ個性は二つと存在しません。

しかも、いずれも神の遺産として、発達させれば自分より恵まれない者を救うことの出来る能力が、賦与されているのです。

あなたも例外ではありません。

その能力を発達させるのが、あなたの義務なのです。

必ずしも霊的能力に限りません。

他にも全ての人間が所有し、世の中を豊かにすることの出来る才能が、たくさんあります。

地上の人間の全てが、それぞれに授かっている才能や技能を発揮するようになれば、どんなにか世の中が明るくなることでしょう。
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by ice-kiss | 2015-09-14 20:38
容易な手段で得られたものは、容易に捨て去られるものです。

霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。

魂の褒賞は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。

霊的卓越に近道はありません。

即席の方法というものはありません。

奮闘努力の生活の中で、魂が必死の思いで獲得しなければなりません。

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の摂理はまやかしであったことになります。

それはまさしく神の公正を愚弄するものです。

一人一人の魂が自分の努力によって、成長と発達と進化を成就しなくてはならないのです。
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by ice-kiss | 2015-09-13 21:21
不道徳とは一体何なのでしょう。

あなた方人間が道徳的だと考えていらっしゃることが、私たち霊から見ると大変非道徳的である場合もあります。

そこに物の見方の問題があります。

私にとって道徳とは、その人がそれまでに悟った最高の原理に忠実に行動しようという考えを抱かせる、努力目標のことです。

それは親切であろうとすることであり、手助けをしようとすることであり、人の心を思いやることです。

もとよりそれは、人の心を傷つけたり、感情を害することではありません。

いかなる形においても、人の進歩を阻害することであってはならないことになります。

後になって恥ずかしく思ったり、自分が手にした真理に忠実でなかったと思うようなことをしてはいけない、ということになります。
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by ice-kiss | 2015-09-12 21:04
あなた方の魂に危害が及ぶことは、決してありません。

自分の知っていること、これまでに自分に明かされた真理に忠実に生きていれば、いかなる苦難が降りかかっても、いささかも傷つくことなく切り抜けることが出来ます。

地上で生じるいかなる出来事も、あなた方を霊的に傷つけたり、打ちのめしたりすることは出来ません。

ご自分の日常生活をご覧になれば、条件が整った時の霊の威力を証明するものが、いくらでもあるはずです。

残念ながら、こうした重大な意味を持つ真理に気づいている人は少数であり、まだ多数とは言えません。

大多数の人間は、物量、権力、支配、暴虐、隷属(させること)こそ力であると思い込んでおります。

しかし人間は全て、身体と精神と魂において自由であるべく生まれているのです。
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by ice-kiss | 2015-09-11 21:34

霊訓中の霊訓


by ice-kiss