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苦しみにはそれ相当の目的があります。

苦しみはなくてはならない大切なものなのです。

なぜなら、それを通じて魂の目が開かされ、隠れた力を呼び覚まされ、その結果として霊的に、時には身体的に、一層強力になってまいります。

そうなるべきものなのです。

多くの人にとって苦しみは、全人生を全く別の視点から見つめさせる、大きな触媒となっています。

いかなる症状の患者であっても、簡単に“不治”と片付けてはいけません。

その態度は間違っています。

地上の格言にも“生命ある限りは希望がある”というのがありますが、これは真実です。

霊が宿っている限り、元気を回復させ、再充電し、ある程度まで機能を回復させることが出来ます。

摂理が自然に働くようにしさえすれば、身体は死すべき時機が来れば自然に死にます。

霊に身体を離れる準備が出来たからです。
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by ice-kiss | 2015-04-10 22:06
不道徳とは一体何なのでしょう。

あなた方人間が道徳的だと考えていらっしゃることが、私たち霊から見ると、大変非道徳的である場合もあります。

そこに物の見方の問題があります。

私にとって道徳とは、その人がそれまでに悟った最高の原理に忠実に行動しようという考えを抱かせる、努力目標のことです。

それは親切であろうとすることであり、手助けをしようとすることであり、人の心を思いやることです。

もとよりそれは人の心を傷つけたり、感情を害することではありません。

いかなる形においても、人の進歩を阻害することであってはならないことになります。

後になって恥ずかしく思ったり、自分が手にした真理に忠実でなかったと思うようなことをしてはいけないということになります。
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by ice-kiss | 2015-04-09 22:09
人間は自分で正しいと判断したこと、良心が命じたことに素直に従わなくてはいけません。

最終的には自分自身が裁判官なのです。

反省してみて、自分の行ったことは全て正しかったか、どこかに間違いはなかったかを、自分で判断することが出来るようになっております。

動機さえ正しければ絶対に間違ってはいません。

何よりもまず動機が最優先されるのです。

あなた方も元来が霊的存在であって、それが今は物的身体を通して自我を表現しているに過ぎないという、この基本的真理を常に念頭に置いて下さい。

霊をたずさえた肉体ではなく、肉体をたずさえた霊だということです。

その認識のもとに、内部の霊性を出来るだけ多く発揮することになるような生活を、心掛けることです。
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by ice-kiss | 2015-04-08 22:31
あなた方人間は、受信局と送信局とを兼ねたような存在です。

純粋に自分自身の考えを生み出すことは極めてまれです。

地上のラジオやテレビにチャンネルとかバイブレーション(振動) ー フリークエンシー(周波数)が適切でしょう ー があるように、人間にもそれぞれの周波数があって、その波長に合った思想、観念、示唆、インスピレーション、指導等を受信し、今度はそれに自分の性格で着色して、送信しています。

それをまた他の人が受信するわけです。

その波長を決定するのは、各自の進化の程度です。

霊的に高ければ高いほど、それだけ感応する思念も程度が高くなります。

ということは、発信する思念による影響も、高度なものとなるわけです。
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by ice-kiss | 2015-04-07 22:17
霊界では魂の成長に応じた界、つまりその人の知性と道徳性と霊性の程度に、ちょうどよく調和する界に住むようになります。

界の違いは、そこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界に住むことになります。

地上はその点が違います。

物質界という同じレベルで生活しているからと言って、みんな精神的に、あるいは霊的に、同じレベルの人たちばかりとは限りません。

身体は同じレベルのもので出来ていますが、その身体つまり物質で出来た肉体がなくなれば、魂のレベルに似合ったレベルの界へ行くことになります。
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by ice-kiss | 2015-04-06 22:37
私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛よりも、奉仕的精神に根ざした愛の方が遥かに尊いと信じている者の一人です。

奉仕的精神から発動した愛の方が遥かに偉大です。

自分という“一個”の存在の心と知性と魂を、“多数”の人間の運命の改善に役立てようとする時、そこにはその見返りとしての己れの栄光をひとかけらも望まない、“光輝く存在”を引き寄せます。

生きる喜びをひとかけらも味わうことを許されない、無数の魂の存在を地上に見ているからです。

もしも皆さんが、霊の目をもって見ることが出来れば、宇宙の全次元の存在の場をつないでいる絆をご覧になることが出来るのですが、それがご覧頂けないのが残念です。

それをご覧になれば、地上の誰一人として、見捨てられたり、取り残されたり、無視されたり、見落とされたりすることがないこと、霊的なつながりが人間に知りうる限りの最低界から、人間が想像しうる限りの最高界まで、連綿として続いていることを理解されることでしょう。
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by ice-kiss | 2015-04-05 21:35
地上生活の総決算をする時が来た時、つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くことになります。

その時の判決の基準は、地上で何を考えたかでもなく、何を信じたかでもありません。

世の中のために、どれだけ自分を役立てたかということです。

私が説いているのは“人のために”という福音です。

人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。

そうすると、あなたがこの世に存在したことによって、世の中が豊かになるわけです。

簡単なことです。

改めて説くのもおかしいくらい、当たり前のことなのです。

ですが、やはり真実です。

地上世界は、単純さという本通りから外れて、ややこしい複雑な脇道に迷い込んでおります。

あまりに複雑なものに惑わされて、単純な真理が受け入れられなくなっている精神構造の人が、大勢います。

ですが、単純な真理は、単純であるが故に強いのです。

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by ice-kiss | 2015-04-04 22:53
奉仕こそ霊の通貨なのです。

宗教とは何かと問われれば、私は躊躇なく申し上げます ー いつどこにいても、人のために自分を役立てることです、と。

神学などはどうでもよろしい。

教義、儀式、祭礼、教典などは関係ありません。

祭壇に何の意味がありましょう。

尖塔に何の意味がありましょう。

ステンドグラスの窓にしたから、どうなると言うのでしょう。

法衣をまとったからと言って、どう違うと言うのでしょう。

そうしたものに惑わされてはいけません。

何の意味もないのです。

自分を人のために役立てること、それが宗教です。

あなたの住む、その世界のために役立てるのです。

世の中を明るくするために役立てるのです。

人の心を思いやり、優しくいたわり、気持ちを察してあげなさい。

しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘って下さい。
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by ice-kiss | 2015-04-03 21:44
われわれは、大いなる神の計画の中に組み込まれていること、一人一人が何らかの存在価値を持ち、小さすぎて用のない者というのは一人もいないこと、忘れ去られたりすることは決してないことを忘れないようにしましょう。

そういうことは断じてありません。

神の大事業に誰しも何らかの貢献が出来るのです。

霊的知識の普及において、苦しみと悲しみの荷を軽くしてあげることにおいて、病を癒してあげることにおいて、同情の手を差しのべることにおいて、寛容心と包容力において、われわれの全てが何らかの役に立つことが出来るのです。

かくして各自がそれぞれの道において、温かき愛と悠然たる自信と確固たる信念を持って生き、道を失った人々があなた方を見て、光明への道はきっとあるのだと、感じ取ってくれるような、そういった生き方をなさって下さい。

それも人のために役立つということです。
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by ice-kiss | 2015-04-02 22:35
私たち霊団の仕事の一つは、地上へ霊的真理をもたらすことです。

これは大変な使命です。

霊界から見る地上は、無知の程度がひどすぎます。

その無知が生み出す悪弊は、見るに耐えかねるものがあります。

それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれがひいては、霊界の悲劇にも反映しているのです。

地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は魔法のように突如として、言葉では尽くせないほどの喜悦に満ちた輝ける存在となって、一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。

真相とはほど遠い話です。

死んで霊界へ来た人は ー 初期の段階においては ー 地上にいた時と少しも変わりません。

肉体を捨てた ー ただそれだけのことです。

個性は少しも変わりません。

性格は全く一緒です。

習性も特性も性癖も個性も、地上時代そのままです。

利己的な人は、相変わらず利己的です。

貪欲な人は、相変わらず貪欲です。

無知な人は、相変わらず無知のままです。

悩みを抱いていた人は、相変わらず悩んでいます。

少なくとも霊的覚醒が起きるまではそうです。
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by ice-kiss | 2015-04-01 23:10

霊訓中の霊訓


by ice-kiss