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ー なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか?
なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか?

「それに対する答えは“なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか”という問いに対する答えと同じです。

学校を出た後の生活で直面する様々な情況に備えて、勉強させるためです。

物質界へ来るのも同じ理由からです。

地上を去った後に訪れる生活に備えさせるために、地上生活が様々な体験と挑戦の好機を提供してくれます。

次の段階に備えるための学習の一過程です。」
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by ice-kiss | 2015-04-30 22:06
ー “死後の世界”は、どこにあるのかという問いには、どう答えたら良いのでしょうか?
明確に答えるのは困難だと思いますが……。

「死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。

死んでからではなく、今の時点で霊の世界に住んでいるのです。

死んでから、そこへ行くのではありません。

今いる場所に霊界があるのです。

その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しない限り、それが認識出来ないというに過ぎません。

別個の世界ではないのです。

宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面に過ぎません。」
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by ice-kiss | 2015-04-29 23:33
肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。

大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長・発展・開発の程度です。

肉体が地上で長らえる年数を長引かせることは、神の計画の中にはありません。

リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えが出来ると肉体が滅びるということで良いのです。

ですから、寿命というものは忘れることです。

長生きをすること自体は大切ではありません。

地上生活の一番肝心な目的は、霊が地上を去った後の霊界生活をスタートする上で、役に立つ生活、教育、体験を積むことです。

もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身につけずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。
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by ice-kiss | 2015-04-28 22:54
われわれはこれまでに存在の始原から、もったいないほど多くの恩恵を授かってまいりました。

それによって同志の多くが霊的に豊かになりました。

なればこそ、われわれより恵まれない人たちが、同じ豊かさと美と栄光を分かちあえるように、われわれの奉仕的精神を一段と堅固に、そして強力にすることが出来るよう神に祈りたいと思います。

知識がもたらすところの責任を片時も忘れないように致しましょう。

われわれはもはや、知らなかったでは済まされません。

精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです。

人間の一人一人に神性の一部を植えつけて下さった神とのより一層の調和を求めて、人のために自分を役立てる機会をますます多く与えて下さるように祈ろうではありませんか。

そうした生き方の中においてこそ、全て神が良きに計らって下さるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落ち着きを得ることが出来ます。
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by ice-kiss | 2015-04-27 23:27
物質は、その本性そのものが束の間の存在であり、移ろいやすいものです。

物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。

それが存在を保っているのは、霊によって生命を与えられているからです。

原動力は霊なのです。

霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。

霊が引っ込めば物質は崩壊します。

あなたの身体は元のチリに戻りますが、本当のあなたである霊は、永遠の進化の旅を続けます。

あなた方は霊を携えた身体ではありません。

身体を携えた霊なのです。

本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。

それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械に過ぎません。

霊は物質に勝ります。

霊が王様であり、物質は召使いです。

こうした事実を追求していくうちに、あなたの視野と焦点の置きどころが変わっていくことに気づかれます。

自分がなぜ地上にいるのか、真の自我を発揮するにはどうすべきか、そうしたことを理解し始めます。

どういう種類のことであっても結構です。

自分の能力を伸ばして、他人への援助と啓発のために活用する ー それがあなた方の為すべきことです。
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by ice-kiss | 2015-04-26 23:57
われわれ一同は神の道具です。

神の道具として役立つということは光栄なことです。

人のために役立つことをすることほど、立派な宗教的行為はありません。

それこそが霊の正貨です。

人のために自分を役立てることは崇高なことです。

それは人の生活を豊かにすると同時に、自分の生活をも豊かにします。

また、この世には自分のことを思ってくれる者はいないと思い込んでいる人々に、慰めをもたらします。

人のために役立っていると思う時、私たちは心の奥に、安らぎと静けさと満足感を覚えます。

宇宙の絶対的な支配力への全幅の信頼、神へ向けて一歩また一歩と近づかんとする努力の支えとなる堅忍不抜さは、人のために尽くしている中でこそ得られるのです。
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by ice-kiss | 2015-04-25 22:26
私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。

その気になれば必ず光が見えてきます。

魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。

責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。

背負い切れないほどの荷は決して負わされません。

なぜなら、その荷は自らの悪行がこしらえたものだからです。

決して神が“この人間には、これだけのものを負わせてやろう”と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。

宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。

となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。

つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです。
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by ice-kiss | 2015-04-24 21:54
事態を改善するよりも、悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。

自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは、絶対にすべきではありません。

もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。

それが自然の摂理なのです。

地上の誰一人として、何かの手違いのために、その人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは、絶対にありません。

むしろ私は、その障害物は、その人の性格と魂の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと、申し上げたいのです。

苦しいからといって地上生活にサヨナラをしても、その苦しみが消えるわけではありません。

それはあり得ないことです。

またそれは摂理に反することです。

地上であろうと、霊界であろうと、神の公正から逃れることは出来ません。

なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定は、それぞれの魂の成長度に合わせて行われるからです。
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by ice-kiss | 2015-04-23 23:01

しくじっては学ぶ

もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。

間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。

しくじっては、そこから教訓を学ぶのです。

もしも、しくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。

勉強のために地上へ来ているのです。

しくじっては学ぶ ー それが進化の法則の一環なのです。

しかも新化は、どこかでお終いとなるものではなく、限りなく続く営みなのです。

その目的は完全性の成就です。

が、その完全性がまた無限の性質のものであり、いつまでたっても成就できないのです。

完全を成就しているのは神のみです。

無限なる愛と無限なる叡智の権化なのです。
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by ice-kiss | 2015-04-22 22:57
他人のためになることをする ー これが一番大切です。

私の意見は単純明快です。

宗教には“古い”ということだけで引き継がれてきたものが多すぎます。

その大半が、宗教の本質とは何の関係もないものばかりだということです。

私たち霊にとって宗教とは崇拝することではありません。

祈ることでもありません。

審議会において人間の頭脳が考え出した、形式的セレモニーでもありません。

私たちはセレモニーには興味はありません。

それ自体は、なくてはならないものではないからです。

しかし、いつも言っておりますように、もしもセレモニーとか慣例行事をなくてはならないものと、真剣に思い込んでいる人がいれば、無理してそれを止めさせる理由はありません。

私自身としては、幼児期を過ぎれば、誰しも幼稚な遊び道具は片付けるものだという考えです。

形式を超えた霊と霊との直接の交渉、地上的障害を超越して、次元を異にする二つの魂が波長を合わせることによって得られる交霊関係 ー これが最高の交霊現象です。

儀式にこだわった方法は、迷信を助長します。
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by ice-kiss | 2015-04-21 23:19

霊訓中の霊訓


by ice-kiss